表現者の肖像 安田健介
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座右の一冊

バカの壁

養老孟司(新潮新書)

ここが魅力 全八章中七章までは、人の意識の「盲点」「死角」「見逃し」「脱落」の例示です。これを「バカの壁」とネーミングしたツカミの力は実に大。大ベストセラーの引き金になりました。①男は女の意識を絶対にもてないところがある、②人には人間差があり、変化不能の人、成長可能な人(レベルの違いがあり)がある、③人は世間のいろいろを広く知ることが一番なのに、「個性」を持ち出すのは怪しい、④情報は刻々と変わるが人間個人は不変というのはアベコベ認識で、本当は情報不変、万物流転である、⑤人は「無意識・身体・共同体」を忘れ、「意識・脳・個人」のみ意識しがちである、⑥バカの悩は見てもわからない、⑦教育の怪しいところを示した、というようなことが書かれており、これら7つの「意識脱落」中、⑤での「無意識・身体・共同体」の意識脱落の指摘がとくに重要に思います。

 第八章「一元論を超えて」では、バカの壁を越えた「あるべき姿」を指摘しています。バカの壁の原因が「一元意識」にあると分析し、「二元意識」をすすめています。宗教を例にとると、日本における仏教は一元論ではなく神やアニミズムと共存する多原論なのに対し、世界でみてみるとキリスト教(とくにプロテスタント)、イスラム教とも一元論でありよくないと。この論は『鈴木孝夫の曼荼羅的世界』とも同じであり、私も同感です。

 また、経済を「実の経済」と「虚の経済」に分析し、実物経済のみであるべし、の論は、私の「物々交換経済学」と同方向です。一次産業の「田舎」こそ基本で、三次産業の「都会」の付加価値はツケタシであることの指摘(表現は違いますが)にも同感です。養老氏の二元論は私の二重認識論と同方向の論で、基本的に賛成します。

 思えば私のすべての論は、養老氏の『バカの壁』の第八章を目指したものといえるのです。

思考と行動における言語

S・I ハヤカワ
大久保 忠利翻訳 (原書第四版、岩波書店)

ここが魅力これから精読し、第2弾の本で自分なりに要約した解説を発表したいと思っている本です。この本は「一般意味論」の研究書だそうです。一般意味論とは、「言語その他の記号に対する人間の反応の研究であり、記号の刺激をもって、またそれを受けての人間の行為の研究」だそうです。どうやら、私が第2弾で発表する言葉に関する考察と方向が一致しているように思います。

 S・I ハヤカワさんは、カナダで生まれ育った日系人で、幼少時、日本語の勉強のため、父母が家庭教師をつけたけれど、さぼり続けて日本語を習得しなかったそうです。「一般意味論が日本で研究されているかは知りませんが、研究者が現れることを期待している」そうです(私が現れましたよ)。

 しかし、私だけではないでしょう。鈴木孝夫氏もそうかもしれません。『ことばと文化』(岩波新書)も合わせて読んでみたいと思っています。

幻冬舎ルネッサンス

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