表現者インタビュー
貴著が刊行されました、今のお気持ちはいかがでしょうか。
若い頃、「読書は他人の経験を盗むことである」旨の表現に出会ったことがあります。
他方、その表現自体がさほど洗練されていないこともあり、「盗むこと」を「シェアーすること」に変換してみますと、作者の意図がより鮮明になるのではないかと思われます。
今回の私の本の刊行により、これから東南アジア特にインドシナ地域を目指す若い人達、そしてご縁があり、東南アジアに勤務された経験のある方々、また、これから東南アジアに勤務される予定のある方々にも読んでいただき、ささやかな私共の体験をシェアーしていただければ大変有難いと思っています。
特に、若い人達には、東南アジアに対するある種の偏見を捨てていただき、素直かつ曇りのない目で現地の人達と接していただけますれば、きっと若い人達自身の世界が広がることになるのではないかと考えます。
今回出版しようと思ったきっかけはなんだったのでしょうか?
実は、大分以前から、インドシナ地域に関し書き綴った文章を一つの本に纏めてみたいという気持ちがありました。
しかし、文章の書かれた時間の座標軸、そして、書かれた対象の地域の座標軸も異なっていたため、一冊の本に纏めるには少し無理があるのではないかと考え、一度は本に取り纏めることを諦めたことがありました。
しかしながら、2017年10月、タイのプーミポン国王陛下ご逝去のニュースに触れ、その昔タイの日本大使館や外務本省の仕事としてタイ内政をカバーして来た私にとり、タイの一時代の終焉を強く感じました。
そして不思議なことに、国王陛下と同時代に体験した様々な事を思い出すと共に、一時代、確かに私自身がタイに存在していたことを再認識すると共に、その時代、私が確かにそこにいた証左として同時代に綴った文章や、その後の時代に書いた文章を一冊の本に纏めてみることはそれなりに意味があることではないかと考えるようになった次第です。
なお、これまでにも、『さよならチェンマイ』、『バリからの便り』という本を自費出版した経緯がありますが、編集者からの勧めもあり、『バリからの便り』の中の文章の一部も併せて今回の本の中に掲載させていただきました。
どんな方に読んでほしいですか?
岡倉天心は、「アジアは一つ」と唱えました。アジアという呼称の他に、東洋という呼び方が存在しますが、東洋という言葉には何かしら畏敬の念が隠れている呼称であるような気がしてなりません。
日本という国は、歴史上、古くは中国文明、そして近代においては西洋文明の摂取に並々ならぬ関心を示した時代がありました。
他方、その土地や気候を含め独自の風土から生まれてくる地域独特の文化に対しては、その汎用性が狭められた地域に限定されたものとして、ほとんど関心を寄せず、関心を寄せるどころろか蔑視して来たような感さえ排除されません。
しかしながら、最近のアジアの経済発展の恩恵なのかもしれませんが、アジアに対する若い人達の関心も高まり、「元気なアジア」という言葉にも看取されますように、何らの偏見も持たずにアジアに接する若い人達が増えていることは歓迎すべきことであり、そのような若い人達にこの本を読んでいただきたいと希望しております。