エントリーナンバー3 カップの底に見えたものベリーダンサー・カメリアの物語
p4著者名:富澤 規子
ベリーダンスの源流の一つであるラクスシャルキー(地中海東岸の踊り)は、その幻想的なイメージに反してわかりやすい歴史を持つ芸能だ。20世紀前半から中庸にかけて、エジプトで量産されたミュージカル映画のなかで発展した。腰や腹を揺さぶりくねらす踊りはエジプトや周辺国の各地に存在したが手足の大きな動作が少ないの傾向にあるので、ショーアップしようとするとバレエやジャズの動作を参考にしなければならなかった。
比較的新しい時代の流行なので当時の資料が活字もフィルムも大量に残っているのだが、エジプト人自身には過去の流行として殆ど評価されておらず、よって研究の対象にもなっていない。アラブ人女性なら家庭や女性同士の場で誰でも踊るのがラクスシャルキーとも言われてはいるが、映画やショーで見る技巧的な芸能には程遠く、流行曲に合わせて気のおもむくままに体をゆすり舌笛を鳴らしているだけにも見える。
ラクスシャルキーの歴史が説明しにくくなるのは、むしろより現在により近い70年代以降だ。本場エジプトで急激に廃れる一方で、アラブ人らによって欧米に持ち出され、アラブ人以外の手も多く加わり発展し拡散した。ラクスシャルキーはベリーダンスとして欧米に広がる過程で、ジャズやフラメンコ、インド舞踊などのあらゆるジャンルの要素を吸収し、もはやアラブの芸能と言っていいのかどうかも疑わしいほどに変容した。一方でビジネストークのために古代エジプトや古代オリエントにまでさかのぼると喧伝され、オリエンタリズムの虚像を助長させて、エジプト現地の民俗学研究者達を悩ませている。もしラクスシャルキーを研究対象とするならば映画史、ベリーダンスならば社会学として扱うのが適当ではないだろうかと言うのが彼等の見解だ。
そのような経緯で、現在みられるベリーダンスは欧米圏で大きく発展した芸能であるにも関わらず、中東発祥と言うオリエンタリズムのイメージだけは未だ根強いようだ。
カメリアが活躍した80年代はエジプト芸能としてのラクスシャルキーの最後の輝きの名残の時代であり、アラブ人以外の手で発展するベリーダンスの黎明期でもある。
カメリアはこの時流に上手くのれた芸能者だ。60年代以前では本場エジプト勢が隆盛で外国人の参入は難しく、90年代以降では優れた作曲家や振付師さえ少なくもはや業界として成り立っていない。
70~80年代はアラブ人と外国人が競いあいラクスシャルキーの最後の黄金期を盛り上げた。カメリアは「ラッキーが重なった」と謙遜するが、この時代の競争を生き抜くのがいかに困難であったかは想像に難くない。