表現者の肖像 石橋直道
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表現者インタビュー

「あくまでも前向きに生きる」ということ。すなわち、絶望の深淵から這い上がり、「広い世界」に触れるということ。何よりもまず、今、歩き出して欲しいのです。

69歳での胃がん手術を契機に、十数年間の執筆活動に入る

なぜ書籍を出版しようと思ったのか、そのきっかけをお聞かせください。

 私は経営コンサルタントとして国内で6年、経済分析コンサルタントとして海外で23年、合計29年間コンサルタントとして働きました。コンサルタントといいますのは、携わるそれぞれの案件において、成果物として報告書を作成して顧客に提出しなければなりません。国内においては当然日本語で、海外においては英語でレポートを書きました。そのような物書きの経験と背景がもともとあったために、「書く」ということに対して大きな抵抗を持ってはいませんでした。
 加えてもう一つ、私は生来、物事を深く考える性向を持っております。私たちを取り巻いているこの世界についてであったり、日本の社会についてであったり、その他のことについてであったり、実に様々な事柄について私なりの考え方があり、それはどうも一般の人たちの考えとは少し違うところがあるように思えておりました。そこで、自分の考えていることを、世の中の皆様に知って欲しい――そんな思いを抱くようになったのです。
 この二つだけでしたら、出版にまで至らなかったかも知れません。しかし69歳の時に、思ってもいなかった不幸が我が身を襲いました。私は胃がんを患い、胃を全摘出することとなったのです。幸い私は生還し、術後の経過も良く回復しましたが、これを契機に「いつどうなるか分からない」という危機感を持つに至ったのです。その危機感に促されて、「私の考えていることを、世の人々に知らせたい」という已むに已まれぬ願望がますます強くなりました。

「胃がん」という重大な事態を前向きに捉え、新たな分野に飛び出したわけですね。

 術後の経過が良くなければ、出版はあり得ませんでした。「書く」体力を取り戻したからこそ、実現できたのです。手術してから十数年間を掛けて執筆を続けました。日常的に面白いと感じたことをそのつどメモに書きとめ、それを頼りにまとめました。完成した原稿は、内容が実に多岐に亘っており、いわば“固い”ないしは“重い”部分もあり、随筆としての骨格がほぼ出来上がったものでした。
 ずいぶん真面目な本になりましたが、一つのことを主張しない、押し付けないということは、常に意識いたしました。人それぞれ色々な意見を持っていて、それぞれが正しいのです。社会のこと、文化のこと、戦争のこと、教育のこと……重いテーマから軽いテーマまで、日々考えた色々な「思い」を書き綴りました。難解にならないよう、難しい言葉や文章は避けて、読者の皆様がすらすらと理解できるように書くことを心掛けました。私の出版はこれでひと段落しましたが、本当は、もっともっと書くことができるようにも思います。この十数年で、書く能力もレベルアップしたように感じています。

編集者との二人三脚で歩んだ山あり谷ありの制作工程

制作過程において、心に残っていることをお聞かせください。

  原稿の編集に直接関わってくださった編集部の佐藤早菜様、終始監督・指導されておられたと拝察する矢口会長、山名社長ほか、直接間接に関係された幻冬舎ルネッサンス新社の皆々様に、心からお礼を申し上げます。
 佐藤早菜様の編集に賭けた熱意と闘志、矢口会長・山名社長の編集に対する大所高所からのアドバイス等がなかったら、このような素晴らしい書籍の誕生はあり得ませんでした。
 編集の過程で、佐藤様が原稿において、注釈の出所としてウイキペディアが多用されていることに着目されて、その是正を勧告されたことは、私にとって大きな開眼であり、私は大いに反省して、佐藤様の勧告を可能な限り斟酌するよう努めましたが、このことが、大きな出来事として記憶に残っております。
 そして特筆大書されなければならないのは、御社側が、編集過程において、原稿全般に亘って、一字一句、文章の一つ一つを取り上げて、綿密に吟味・チェックをされたことです。これは、プロフェッショナルとしての、熱意と誠意、豊富な一般常識と専門知識がなければできないことであり、私は大変驚き、御社に対する信頼と感謝の念を確固なものとしました。
 一年の長きに亘って御社側と私側がキャッチボールを繰り返し、遂にこのように立派な書籍の完成を見ることができました。その道程は双方にとって決して平坦ではなく、急峻な山あり深い谷ありの難路でしたが、私たちは遂にそれを踏破するに至りました。

書籍の装丁は、地球儀をモチーフに、ノスタルジックな趣で温かく、神秘性すら感じさせるデザインとなりましたね。

 当初、カバー案を3つご提案いただきました。それぞれデザインコンセプトは違っておりながら、いずれも完璧で甲乙付け難く、私は選定を御社に委ねました。その結果、当案は、若年読者層を重要なターゲットとした、ドラマチックでダイナミックな装丁である点で、確かに他の2案を凌駕しており、私はこの選択に躊躇なく賛同したわけです。
 私ががんの手術から生還して以来、十数年に亘り温め続け、魂を込めて書き綴った原稿がこのように立派な書籍となり、刊行の運びとなりましたことは、私にとって筆舌に尽くせぬ嬉しさであり、感激です。何としてもこの書籍を刊行して世の中の人々に読んでもらいたいという十数年来の願望が、遂に達成され実現したのですから、こんなに嬉しいことはありません。これは、何ものにも代えがたい喜びです。

「自由」を求めてもがき、苦しんだ「かつての自分」と向き合う

『あくまでも前向きに生きる』を読みますと、執筆に掛けたのはこの十数年間であったとはいえ、ここ最近の洞察だけではなく若い頃からの思念を綴っておられるかのようで、長い時間を掛けて醸成された石橋様の「哲学」を感じるように思います。

  この十数年間の執筆期間は、自然と昔の自分を思い出し、向き合うこととなりました。子供の頃は、読書三昧というわけでもありませんでしたが、物事を深く考える性格は、今と変わりませんでした。人間の脳は右脳と左脳とに分かれていて、右脳は感情を、左脳は理性を司ると言われておりますが、私はどうも右脳的人間のようです。とにかくデリケートな性格で、青年時代には何かにつけ憤ることも多かった。優しい面があると同時に、怒りっぽい性格だったと思います。それは長い時間を掛けて徐々に形成された性格で、憤り、悲しみ、悩み……。普通の人よりもネガティブな感情が強かったかも知れません。
 一橋大学を卒業し、「外国」というものに憧れを抱いて、日本航空に入社しましたが、それが私の暗黒時代の始まりでした。葛藤と挫折の深淵の中でもがいた、苦しい時代でした。毎日狭い、閉ざされた空間の中で、常に上下左右に気を配りながら、上から与えられた仕事を忠実完全に果たすことを要求されるサラリーマン生活。力と力が目に見えない形で絶え間なくぶつかり合っている世界……。私にとって、心身を酷使する過酷な世界でした。十数年勤めましたが、私はもう耐えられなかった。自分の良しとする方針に従って、束縛なく自由に生きたかったのです。
 そして私は、コンサルタントという仕事と出会いました。コンサルタントという仕事は半自由業で、自分の考えたいように考え、行動したいように行動する。私の性格にぴったりの仕事でした。北は北海道、南は四国へと、新幹線や航空機、船で駆け巡り、中小企業主への経営アドバイスと地方自治体のマスタープラン参画に明け暮れました。体を沢山動かし、自分の考えでレポートを作成するというこの職業のありようが、私の心身を蘇らせ、生き返らせたのです。

「広い世界」と出会い、「人間」への揺るぎない愛を育む

 日本で6年を過ごしたあと、国際協力調査プロジェクトにおける経済分析専門のコンサルタントとして、世界を舞台にすることになりました。文字通り世界を駆け巡りつつ、仕事に自分を捧げることができたわけですが、これは「数学的分析の分野で世の中に尽くしたい」「海外に行きたい」という学生時代からの夢と願望を叶えることにもなりました。日本航空に入社を決めたきっかけも、「世界を見たい」という思いが根底にありましたから。

石橋様の愛する「自由」が、石橋様ご自身をより広い世界へと導いたのですね。

 様々な国々の現状を見て、「社会」について思うことは色々ありました。もちろん常に前向きな気持ちでいたわけではなく、ネガティブな気持ちに陥ることもあった。しかしそれ以上に、私は現地で人々の「善良な心」に出会い、その影響を大きく受けたのです。
 私の長所でもありますが、私はどの国に行っても、その国のことが必ず大好きになりました。嫌いな国は一つもありません。出会った国が好きで、そこに住む人々が好きなのです。私は数々の国を訪れる中で、世界の人々は悉く善良で同胞である、という確信を確固なものとしました。そして、移動と調査のため絶え間なく体を動かし、新しい未知なるものと絶えず接触するというこの仕事は、私の天職でした。こうして私は、人生の後半を歓喜と高揚の中で紡ぐことができたのです。
 私は皆様に、もっと「世界」を見て欲しいと願っています。今いる世界が全てではない。世界中に様々な「対立」や「戦争」がありますが、実際に世界を回ってその国々に住む人々に触れれば、戦争を起こそうなんて気持ちは絶対に起きないと思うのです。現地の人々に触れること、彼らのことを知って好きになるということ――人間への揺るぎない愛を育んで欲しい。人間の大本は善であると、胸を張って言うことができます。
 私は職業柄、色々な国に行くことができました。読んでくださる方にとって、この本が「世界」との繋がりになればいいと思っております。日本という狭い世界で行き詰まっている方には、理屈を抜きにして、まず他の世界を見てきて欲しい。きっと考えが変わるはずです。狭い世界にこだわらないこと、即ち狭い自分自身を抜け出すことが必要なのです。

いかなるものも「善なる存在」と信じ、ためらわずに歩き出すこと

 人の人生には色々ありますが、折角この世に生を享けた私たちは、何としてでも生き甲斐を持って幸せに生きなければなりません。自分をさげすみ、人を呪い、世の中を恨んで生き、そして死んでいっては、余りにも悲劇で、余りにももったいない。このようなことは絶対あってはならないことです。
 私の人生を、長い葛藤と挫折から一転して歓喜と高揚に転じて、価値あるもの、意味あるものとした、その事実、その背景を、世間の皆様に知らせ、共有していただき、明日を生きる皆様の幸せに少しでも寄与したいとの一念から、筆を執った次第です。私はこの書籍を、ご自分の人生の舵取りが分からず右往左往して暗中模索をしている人、ご自分の人生を軽視して投げやりになっている人、この世の中を憎しみと怒りの目で見ている人、もう駄目だとご自分の人生に絶望している人……。このような人たちに読んでもらいたいと強く考えています。

最後に、「あくまでも前向きに生きる」という書籍タイトルに込めた思いをお聞かせください。

 積極主義、行動主義、そして楽観主義に生きること。即ち、あくまでも前向きに生きること、逡巡・躊躇せず、とにかくやってみること、「大丈夫、きっと良くなる」と思うこと。
 自分は善なる存在であり、この世の中も善なる存在である、ということを自覚すること。
 無制限に人を許し、無条件に人を愛し、あくまで神の恩寵を信ずること。
 私たち人間は、経済力、学歴や経歴、地位の如何にかかわらず、みな平等対等である、ということを認識すること。
 美しい自然、あらゆるおいしいものにアクセスできるという状況、極限にまで発達した通信移動手段、極限にまで発達した医学と医療技術、等々、宗教の描いてきた天国での生活が、現実に目の前にある、ということを認識すること、等々――。
 このように、この書籍を通じて伝えたいことは実に様々ありますが、一人でも多くの人たちが本書をお読みになって、ご自分に対する不信と嫌悪、世の中に対する憎しみと怒りの洞窟から抜け出て、絶望の深淵から這い上がって、立ち上がって、光明に向かって力強く歩み出して欲しいのです。かつては私も、その洞窟におりました。そこから抜け出し、その深淵から這い上がり、私は今、光明の只中におります。抜け出せない絶望はない、それは私という存在が証明しております。何よりもまず、今、歩き出すことです。

幻冬舎ルネッサンス

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