1956年 23歳
母の存在が自分を、心身ともに
成長させてくれた
この世の中で誰よりも一番愛した人、それは母でした。この心情は、誰にとっても真実であると思います。ここまで生き永らえて来られたのも、母の広大無辺で確かな私への愛の思い出に、心の奥底で支えられて来たからに他なりません。
母は現在の千葉県袖ケ浦市代宿の、東京湾を眺望する半農半漁の家の出身で、尋常小学校しか出ておりませんが、学歴など人間の価値や尊厳に何らの関係もありません。私は母が27歳の女盛りの時に生んだ子供でした。母は私が思春期に入るまで、その大きな真実の愛で私をすっぽり包み込み通しました。母の愛を通して私の見たこの世の中は、愛と善に満たされたものでした。人々は優しく愛情溢れ、親切で善良でした。それに応えて私も、優しい「良い子」であり続けました。
思春期に入った私は、弱い体と動揺した心を持った自分が、力と力の格闘の世界に突き落とされていることを悟りました。この変化に対して、私は無防備・無力の状態に追いやられました。母が世の中の現実を教えて、私を強く厳しく育てることをしなかったのを悔やんだ私は、母に反抗し、世の中に反抗反逆を試みましたが、それは私を一層不幸せにするだけでした。
私(23歳)-左から1人目-と母(51歳)-左から5人目-、昭和31年(1956年)、
埼玉県浦和市の自宅にて