表現者の肖像 石橋直道
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1965年 32歳

最愛の人との出会いと別れ

 そのような中、たまたま熊本県八代市出身の結城スエ子と出会い、結婚するに至りました。彼女は当初私にはとても優しく、美貌と映りました。結婚して、私は私の持っているありったけの誠と愛を彼女に注ぎましたが、彼女は殆どそれに応えようとしませんでした。彼女は地元の看護学校を優秀な成績で卒業し、その将来を嘱望されて、東京の新大久保にある国立病院に正看護婦として迎えられました。そこで過ごした、日本の高度経済成長期に当たる、恐らく10年ほどの期間において、彼女は純朴な田舎娘から世知に鋭い都会人に変身したものと思われます。東京という環境が彼女を変えてしまったのです。
 私が自分より若干年上の彼女に無意識に母のイメージと役割を求めていたのが、禍の元となったとも言えます。彼女は5人の兄弟姉妹の末っ子として、父母兄弟の愛情を一身に集めて育ったと思われます。従って、彼女こそ私に甘えたかったに違いなく、私はその強い欲求に応えることができなかったのです。彼女はしばしば予告なしに子供を連れて実家に戻りました。

 2人の子供が17歳と18歳になった時、離婚という形で、彼女は子供を連れて家を出て行きました。私達の結婚は私達を不幸にし、子供達をも不幸にしましたが、私自身としては、心を尽くし誠を尽くして彼女を愛し子供を愛したことに、満足の思いを抱いております。

私(32歳)と元妻、石橋スエ子(32歳)、昭和40年(1965年)、
結婚式にて

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