表現者の肖像 石橋直道
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海外滞在の思い出

1984年

I.国際協力調査プロジェクト

1.昭和59年(1984年)、私の年齢:52歳、ネパール、首都カトマンズ、天然素材を使った製紙工場の建設。

機上で撮る。首都カトマンズに近づくと峩々たる山並みが迫ってきた。先方に、かすかに見えるのはヒマラヤ山脈。

2.

歴史的な由緒ある寺院が至る所に見られた。路地を歩くと、いにしえの、みやびの雰囲気が身に押し寄せるのを感じた。我が国の京都を彷彿とさせた。

3.

ヒンズー教の神々の石像が街の各所に安置されており、人々は熱心に祈願し、供物を捧げていた。

4.昭和59年(1984年)、私の年齢:52歳、パキスタン、首都イスラマバード、ダム水導水。

カメラを向けると少年たちが笑顔をつくりながらわっと寄って来た。その純粋無垢で無邪気な行動に心を動かされた。

5.

しばしば街角で見掛けた正装の婦人たち。全身黒装束で目の部分だけあいている。そうでない女性たちも沢山見掛けた。
ジョーク:容貌に自信のないご婦人が、えてして戒律にこだわる、との噂を聞いた。

6.

マホメット生誕祭において。目抜き通りは晴れ着を着た大勢の男性信者たちで埋め尽くされた。写真はゴム風船売りのおじさんの周囲に集まった少年たち。日本のお祭を思い出した。

7.

調査が終わって中国を横断する空路で帰国する途中、ヒマラヤの銀嶺を俯瞰する幸運に恵まれた。白銀の渺茫たる山並みが果てしなく続き、他の景色に変わるまで、2、30分かかったと記憶している。

1985年

8.昭和60年(1985年)、私の年齢:53歳、タイ、首都バンコク、運河の水質改善。

カメラをぶら下げて街中を歩いていると、2人連れの若い女性がやって来た。私が、写真を撮ってもいいですか、と言おうとしたその時、「私たちの写真をお撮りになりたいのですか。どうぞお撮りください」、と言って、率先してポーズをとってくれた。

9.

バンコクには名立たる仏像を安置した寺院が数カ所あるが、そのうちの一つ、ワット・サケットを訪れた時、2人の少年のお坊さんに出会った。2人は、快く私の求めに応じて、写真に納まってくれた。

1986年

10.昭和61年(1986年)、私の年齢:53歳、バングラデシュ、首都ダッカ、尿素肥料工場の増設。

ダッカはいくつかの大河が流れる水の都である。それらの川は首都と地方を結ぶ大動脈であり、ダッカ港は、常時発着の旅客で賑わっている。写真:旅客と貨物を満載して出発の準備をする旅客船。港湾労働者と、たまたまそこに居あわせた少年を入れてパチリ。

11.

写真:尿素肥料の需要を左右する、バングラデシュの農作物に関わるデータの収集に、誠意をもって協力してくれた中央政府の2人の役人に囲まれて。

12.昭和61年(1986年)、私の年齢:54歳、ミャンマー、首都ヤンゴン、米穀輸出施設の増設。

ヤンゴン最大の仏教寺院、シュエダゴン・パゴダは、金ぴかの巨大な卒塔婆を中心に数多の仏塔や廟の林立する空間であり、ビルマ人の仏教帰依の深さを如実に示している。写真はきらびやかに立ち並ぶ仏像を前にして、供物を捧げ、祈願をする老若男女の人たち。

1987年

13.昭和62年(1987年)、私の年齢:54歳、パキスタン、首都イスラマバード、水資源開発。

首都における各世帯の水道水利用状況の、アンケートによる実態調査に協力をしてくれた、水道局調査課の人たち。

14.

写真:美しさと清潔さを備えたモスク(回教寺院)。
このような、立派な寺院が至る所に見られる。或る時、承諾を得て、その一つに入ったが、部屋には偶像とか祭壇とかは一切なく、一人の信者がコーランを熱心に黙読していた。

1988年

15.昭和63年(1988年)、私の年齢:56歳、ニジェール、首都ニアメ、農村復興。

牧草地で羊飼いの少年たちに出会った。一番背の高い少年が笑顔で私に近づいて来て、握手を求めた。私は快く応じた。

16.

ニアメの目抜き通りを、器用に頭上に物を重ねて載せて、悠然と歩く婦人たち。

17.

地方の田園風景。藁葺きの伝統的な家屋と家畜と農夫ののどかな風景。家屋は一日でつくることができると聞いた。家屋の中をのぞくと、意外と狭く、私の見る限りベッドしか見当たらなかった。

1989年

18.平成1年(1989年)、私の年齢:56歳、ガーナ、首都アクラ、農業開発プロジェクトの可能性調査。

初めて見る、想像外のカカオの実のなり方と形状。コーヒーの実は、初めてマダガスカルで見たが、その時の印象ではサクランボに似ていると映った。

19.

地方の山道で出会った娘さんたち。愛想良く親しげに声を掛けて来た。

20.

ノグチ・メモリアルホールにある野口英世像。彼はガーナで黄熱病を研究中、自らがそれに感染し、53歳の生涯を閉じた。彼の研究は、彼の死後、ワクチンの開発により結実した。

21.平成1年(1989年)、私の年齢:57歳、インドネシア、首都ジャカルタ、都市排水施設の整備。

調査を無事終了し、調査団は、日本政府及びインドネシア政府の役人を招いて、祝賀パーティーを催した。

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