1996年
36.平成8年(1996年)、私の年齢:63歳、ヴェネズエラ、首都カラカス、河川水の水質改善。
仕事の合間に観光のため、ヴェネズエラ東南部の景勝地を訪れた際、目撃した美しい瀑布、ウカイマの滝とテーブルマウンテン。テーブルマウンテンは南アフリカ共和国でも見られ、それは、太古の昔、南アメリカとアフリカが一つの大陸であった証左であると考えられている。
37.
ヴェネズエラでの仕事の行き帰りに、調査団は、通過滞在地としてニューヨークに宿泊した。その際市内のめぼしい所を観光した。写真は、2001.9.11の惨事で崩壊した世界貿易センター(World Trade Center)の最上階から見下ろした、マンハッタン島とブルックリン区とを結ぶマンハッタン橋(Manhattan Bridge)(左)とブルックリン橋(Brooklyn Bridge)(右)。
38.
団員は、ニューヨーク港をフェリーに乗って観光した。遠方に、自由の女神(Statue of Liberty)が見える。
39.平成8年(1996年)、私の年齢:64歳、タイ、首都バンコク、河川水導水トンネルの建設。
現場に近い場所にある観光地点、黄金の三角地帯(Golden Triangle)で、着飾った少年少女たちと。右側に見えるのが、タイ、ミャンマー及びラオスの3国の国境が一点に集まったメコン川。
40.
私たちは、タイの北方都市チェンライの、フラワー・フェスティバルに遭遇する幸運に恵まれた。涼しい夕刻に催され、着飾った美女たちを載せた、花々で装われた山車が陸続と続いた。まさにそれは圧巻であった。
1997年
41.平成9年(1997年)、私の年齢:65歳、エリトリア、首都アスマラ、水開発。
アスマラの目抜き通りで遭遇した可愛らしい少女たち。笑顔で撮影に応じてくれた。
42.
エチオピアとの国境に近い現場で、団員とエリトリア政府の役人と。
43.
私のカウンターパート(相手役)、テスファマリアム(Tesfamariam)さんのご自宅に招待された時の写真。彼はインテリで哲学者風で、健康そうな男の子ばかりの5人の子供を持ち、優しそうな奥さんと平穏で幸せな生活を営んでいた。
44.平成9年(1997年)、私の年齢:65歳、タンザニア、州都タボラ、地下水開発。
スイスのチューリッヒに通過滞在した。写真は、宿泊したマリオット・ホテルの部屋の窓から撮った、川沿いの美しい教会。冬季だったので屋根が雪で白く写っている。
45.
滞在地タボラ市の、調査団が宿泊したホテルの構内に植えられていたパパイヤの木々。バナナの木や椰子のように、先端寄りの葉の下に果実が凝集してなる。
1998年
46.平成10年(1998年)、私の年齢:66歳、モルディヴ、首都マレ市、廃棄物処理。
調査対象の島々の一つ、フルムーン島から他の島を眺望する。モルディヴは、インド洋上に300キロ平方メートルに亘って散在する1190もの島々から成り立っている。
47.
宿泊したサンドゥラ・ホテルの3人のレセプション嬢のうちの一番の美女。とても愛らしく優しい人であった。
48.
私の仕事をアシストしてくれたモルディヴ政府側の2人の女性。優しい人たちで、てきぱきと働いてくれた。
1999年
49.平成11年(1999年)、私の年齢:66歳、ルーマニア、首都ブカレスト、下水処理施設整備。
調査対象のドナウ川北岸沿いの数都市を、中央政府のカウンターパート(相手役)、ヴァシラケ(Vasilache)さん(右)と通訳のリヴィア(Livia)さん(中央)を伴い、踏査した。リヴィアさんは独学で日本語を学んだと言い、驚くほど流暢に日本語を話した。ヴァシラケさんは、コネで私に居心地の良いアパートの一室を探してくれた。大変なインテリで、日本は漢字を廃止すべきである、と主張した。
50.
ルーマニア政府側、私たち調査団及び日本政府代表団との間で行われた会議の際、休憩時に撮った写真。中央は通訳のオリヴィア(Olivia)さん。駐日ルーマニア大使館で働いていたことがあると言い、自由に日本語を操り、日本婦人の控え目な慎ましい態度・振舞を身に付けていた。右は日本政府の役人、杦木さん。
51.
調査対象の数都市のうちの一つ、ルーマニアの東端に近い都市、ガラツィ(Galaţi)に沿って流れるドナウ川の一風景。黒海に注ぐ手前のこの川は、川幅が広く、水量が豊富であった。
52.
通過滞在地として、オーストリアの首都ウィーンに宿泊し、街中を散策した。喫茶店に入り、カウンターに腰掛けようとすると、座っている人たちが親切に間を空けてくれたのを覚えている。また、道端の屋台で焼き栗を買い、紙の袋に入れられた、皮の弾けた、暖かいご馳走を、歩きながら口に頬張った。写真は目抜き通りの一角。
53.平成11年(1999年)、私の年齢:67歳、中国、安徽省の蚌埠市、河川の水質改善。
通過滞在のため、上海に宿泊した。写真は、上海で最も美しい場所の一つと思われる黄浦江沿いの一角。
54.
団員の一人、デンマーク人のアンデルセン(Andersen)さんと調査対象河川、淮河のほとりを散歩した。その晩、「crayfish」を食べに行こうと彼を誘った。彼は期待に胸を弾ませて同行したが、レストランに着き、それが「ざりがに」であることを発見して、溜息を洩らした。
2000年
55.平成12年(2000年)、私の年齢:67歳、ヨルダン、首都アンマン、水資源管理。
アンマンを遠望する。樹々の緑が殆ど見当たらない、私たちには異様な風景である。
56.
アンマンの街中の一角で。皆さん同じように、赤い色の布を頭から被り、頭上に輪を載せていたのが、印象的であった。
57.
通過滞在した、オランダのアムステルダムの、運河のほとりのレストラン。オランダの風景は美しく整い、人々は悠然と生を楽しんでいるように見えた。
58.
死海の光景。動物も植物も一切見当たらない異様な風景。一度泳いでみたが、海水は塩分を濃厚に含んでいるため比重が高く、確かに体が浮くような感じがした。死海は無尽蔵に塩分を含むため、塩分から採取される塩化カリウムを利用した、化学肥料の生産が盛んに行われている。
59.
或る時、ヨルダン政府側の2人のカウンターパート(相手役)、灌漑省計画局局長のエドワード(Edward)さん(中央)と同局計画課長のスーザン(Susan)さん(左)を中華料理店に招いて、友情を深めた。